大は決して小を兼ねない

house

先日、新規でオープンするシェアハウスの相談で、施工主さんとの打ち合わせました。

【良いシェアハウスとは?】

僕が初めて起こした会社(http://murabito.co.jp/)でシェアハウス事業を始めたのは2008年3月。

当時シェアハウスという言葉は社会にはほとんどなかった。

不動産屋で「シェアハウスをやりたいんです」って話をすると、

それだけで「?」という顔をされ、門前払いになった。

今ではたくさんのシェアハウスが出てきて、

様々なコンセプト、様々な建築デザインのもと、様々なシェアハウスが、

乱立といってもいいくらい、供給過多な市場になってきた。

そんな中、より良いシェアハウスを作ろうと、

よりお洒落に、プライベート空間をバッチリ確保、ゆとりのある生活空間・設備、

と必死になって戦っているシェアハウス業者がいる。

【一人の方が楽?】

プライベート空間をバッチリ確保して、ゆとりのある生活空間や設備を作れば、

不便もないし、自分の空間があって人と無理に付き合わなくてもいいし、

そうすれば、管理会社の管理する手間やリスクも少ない。

それが本当に良いシェアハウスだとは、僕は思わない。

プライベートな空間を確保すればするほど、その分、人との関係は薄くなる。

関係が薄くなれば、

関わりたい時にだけ、人と関われば良いという距離感でも居られるので、

一見、楽そうだが、

「自分がどのくらい人との関わりを求めているのか」

を自分自身でちゃんと認識できている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。

僕がシェアハウスの経営を6年、シェア生活を続けて10年の中で、

「人と一緒に住むなんて無理。一人が楽。」と思っている人の、半分くらいは、

実は、本当は、向いている人だ、という僕の勝手な統計がある。

どうゆう事かというと、

「一人の方が楽。」という言葉の裏に、

「ありのままの自分をさらけ出したら、みんな、受け入れてくれないに決まってる。

受け入れてくれないに決まってるんだから、表向きの自分像でみんなと接しなければいけない。

そんなの、疲れてしまうわ。」

という思い込みがある人は、こんな生きづらい場所ばっかりの現代社会においては、

たーくさんいる。

では、更にその言葉の裏を返せば、

もし、本当にありのままの自分で居ても、受け入れてくれる環境があるのであれば、

それは、楽に居られる場所になる。

一人でいるよりも、むしろ、楽な場所にすらなりえる。

そこに至るまでは、トラブルや喧嘩もたくさんあるが、

そうゆう経緯を経て、関係は出来ていくものだし、

自分で自分を知っていくのだと思う。

シェアハウスがそうゆう場所であれたらと、僕は思う。

【大は決して小を兼ねない】

ゆとりのある空間を持って、洗濯機や冷蔵庫も人数分用意して、

不便のないように。。

それはそれで便利で良いのだけれども、僕は好きじゃない。

今まで僕自身も、

色んなシェアハウスに住んできて、

広いシェアハウスも、狭いシェアハウスも、色々あったが、

狭いシェアハウスには狭いシェアハウスにしか出せない価値がある。

狭い空間では、空間を譲り合わないと一緒に居られない。

洗濯機が一つしかなければ、みんなで一緒に洗えば良いし、

それが無理だったら、譲り合って使わないといけない。

それをイヤイヤやるのではなく、「あいつのために」って思えたら、

自らすすんでやりたくなるし、それが自分の喜びにすらなる。

便利な事が良いわけでもないし、広い事が決して良いわけでもない。

小には小にしか出せない価値があり、決して、大は小を兼ねない。

僕の考え方は、シェアハウス業界の中では偏っている。

それもそうだ。

シェアハウス業界は、不動産屋さんの集まりだ。

みんなシェアハウス事業は、不動産事業だと思っている人の方が圧倒的に多い。

僕にとってのシェアハウス事業は、コミュニティ事業だ。

不動産は後から付いてきたおまけだ。

そんな話に共感してくれて進められた打合せだった。

良いシェアハウスになると良いな。

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