群馬の生活と東京の生活

kannon

東京で10年近く生活して、去年の春から地元群馬に引っ越しました。
今でも週の半分は東京で生活していますが、
両方の生活を通じて気づいた事を書いておきます。

東京に居る人は、街中ですれ違う人、ふらっと寄ったコンビニの店員さん、スーパーにいるおばちゃん、隣のテーブルで飲んでるお客さん、
これらの人に対して、「一生会わない人」あるいは「一生、俺の人生に影響を及ぼさない人」と無意識に思っている気がする。
少なくとも、僕はそう思いながら東京で生活している。
一生何の関係も持たないと思っている人たちと接している分、気楽だ。気楽に居られる分、割と自由だ。
そんな人たちが集まっている分、東京という器は、多様性も受け入れやすい。
この「受け入れられる」という意味は、半分は「いいね!」であり、半分は「どうでもいい。そこまで他人の事に関心がない。」で構成されていると思う。
が、いずれにせよ、東京は、突飛な事をしても「社会」という一定の枠からは外れずらい。

群馬に居る人は、街中ですれ違う人、ふらっと寄ったコンビニの店員さん、スーパーにいるおばちゃん、隣のテーブルで飲んでるお客さん、
これらの人に対して、「知り合い?」もしくは「知り合いの知り合い?」と無意識にどっかで探っている。
少なくとも、僕はそう思いながら群馬で生活している。
実際、高崎で飲めば確実にといっていいほど、バッタリ知り合いに会うし、
たまたま隣で飲んでる人の旦那が知り合いとか、たまたま隣で飲んでる人の会社に俺の友達もいるよ、とか、
はよくある話だ。
知らない人がどこで繋がっているか分からない分、なんか気を使っちゃう事も多いし、
東京で受け入れられるような多様性は、群馬では受け入れずらい部分も多々ある。

じゃあ東京と群馬、どっちが好きか、と聞かれたら、
群馬の方が断然、好きです。大好きです。

東京の仲間は大好きで仕方がないくらい大好きだが、
東京という場所に住んでいる「知らない人」に対して、愛着は沸かない。

でも群馬に居ると、違うんだよなー。
タクシーの運転手さん、コンビニの店員さん、雀荘にいるつまらない冗談ばっか言ってるおっちゃん、
みんな愛おしいもんなー。

「知らない人」を愛おしく思えたら、その場所は自分が好きな場所なんだろうな。
逆かな、その場所が好きだから、その場所にいる「知らない人」を愛おしく思えるのかな。

ま、どっちでもいっか。

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